私はかつて非常に怒りっぽく、パートナーと死ぬほど喧嘩をしていました。自分の気持がうまく言えなくて、結局感情だけがたかぶって泣くし、翌日にならないと自分の言い分が言葉になりませんでした。
いまでもすれ違うことは起こりますが、以前より泣いたりしなくなりました。
何をしたのかというと、自分の気持ちを言い表す練習をしました。
今日はそのお話をします。
ことばにも解像度がある
写真とかで解像度高い低いって言いますね。
解像度が低いってのはボンヤリした言い方、高いってのはクッキリした言い方。
写真だけではなく、思考やことば、目標などにも解像度があるなって最近思いました。
解像度を高める=様々な表現ができるようになる ということだと思います。
「なんかもやっとする」
自分の気持ちについて、言い表すことばが少なければ、どういう気持ちなのかわからないでいることがあります。
あ~やばいなんかモヤモヤする~。何もかもムカつく~。
これはちょっと解像度が低め。
あの人の言葉が引っかかって気分が悪いなあ。些細なことにもイライラしてしまっている
さっきよりはちょっと解像度が高くなりました。
前者は自分の気持ちを明確に言い表せてないので何が起こってるのかわかりません。
なににモヤモヤしてるんでしょう?
本当になにもかもでしょうか?
後者は誰かの言葉が引っかかっているんだな、それで感受性が高くなっている状態なんだな(=些細なことにもイライラする)と気づくことができますね。
明確にして何になんのさ
自分の気持ちを明確にしはじめるまでは「明確にして何になんの?」って思う人も多いんじゃないかなって想像します。
いやね、頑張ってみてほしいの。これもね、すごいよ。(解像度の低い言い方)
明確にするとおこるのは、以下のようなことです。
- 悩む時間がすくなくなる
- 解決策が見つかりやすい
- 相手に自分の気持ちを伝えやすい
ただ、頑張る難易度としては結構難しいです。なぜなら、
- まず感情が動いたときに落ち着かないと言葉にならない(高ぶってるときにおちつけるかよ!)
- やっぱ語彙増えないとしんどい(あれがあれで…うう~ん!!)
- そもそも自分の気持ちを深堀りするってどうやるかわからない
- 深堀りすると見たくない自分の気持ちに気づくからヤダ
この辺が壁になるかと思うからです。
それを解決していくには、少しずつ考えを整理して、言葉にする練習をしていくと良いと思います。
思考の整理と言葉に表すトレーニング
自分にぴったりの言葉がないか探す
語彙ってのは一朝一夕には増えません。増えてほしいけど。
でも、なんとか自分の気持ちを言い表そうとしてみると、少しは言葉が出てきます。
悲しい、嬉しい、辛い、楽しい。などなど。
悲しいと辛いは同じ方向の言葉に思えますが、ちょっと印象が違う気がしますね。
私の印象では、悲しいより辛いほうが痛みを伴っている気がします。
もちろん悲しくて辛いでもいいです。
自分がどう感じているかを大事にして、印象の中でぴったり来る言葉を探してみてください。
辞書的な意味以外に、正解・不正解はありません。
自分がどう感じているか、それが今の語彙や理解している意味の中ではどれなのかを「探す」ほうが大事です。
また、辞書的な意味が必要になってくるのは、相手に伝える場合です。
気になったときは辞書で調べるのをおすすめします。
言い換えてみる
ぴったりの言葉がないか探す過程と似ていますが、言葉によっては言い換えができたりします。
「この言い方は嫌なんだよな」とか思ったときでも、似た意味の別の言葉ならいけたりするんですよね。
たとえば、あなたにとって「がんばる」と「努力する」どっちがしっくりきますか?
「体重を減らす」と「減量」では、どちらがぴったりでしょうか。
多少意味が違うことでも、比較してみて良いかもしれません。
たとえば、「ダイエット」か、「ボディメイク」か、などなど。
本来自分が望んでいたものに出会えたりします。 こちらも、何が違うのかわからないときは調べて考えることをおすすめします。
私が最近気づいたぴったり
私が最近気づいたのをご紹介しますね。
「成長する」っていうと、ちょっと違うな…って思うんですけど、「変化」って言うと、ちょっとピッタリ感じます。
自分の外部的な変化も言葉で説明してみる
あとは、自分の体の状態を言葉にしてみるのもいいですね。
私はよく、気が重いときは胸の真ん中が圧迫されているような気持ちになります。
それから、つよいストレスを感じて危険信号なときは首の後を引っ張られるような感じがします。
そういうふうに、自分の心と体の状態を少しずつ言葉にして整理してみましょう。
少しずつですが、自分の気持ちを今よりもう一歩表せるようになっていきますし、のちのち瞬間的に自分の体の状態から心の状態を推察することもできます。
翌日になっておこる「ああ言っておけばよかった」はチャンス
なんかこういう事ありませんか。
人と話し合いをしてうまくいかなく、 ときが経つにつれて「あ~、きのうは何も言えなかったけど、ああ言えばよかったな…」みたいな。
感情が動いたとき、すぐには落ち着けないと思います。でも、ちょっと時間が経ってからなら、分析ができるかもしれません。
中には、翌日は必ずグダグダループしちゃって余計しんどいなんて人もいるかもしれませんね。私とかがそうです。
そういうときはむしろ、ちょっと落ち着いて考えてみるチャンスかも知れません。
グダグダのループを自分に問いかける機会にするんです。
自分はどう思ったのだろう?
どうしてそう思ったのだろう?
ほんとうは、どう言いたかったんだろう?
深堀りしてたどり着く自分と向き合う瞬間
自分の気持ちを整理したり、「どうして」「なぜ」を繰り返していくと、自分自身に目を向ける瞬間が来たりしますね。
「考えたくないこと」といってもいいかもしれません。このまま考えて行くと嫌な感じがするなってときのことです。
でもそこが自分のキモな部分だったりもします。
少しずつ、そっとでいいので、触れてみようとすることも一つの手段です。
私の例:酒を飲みすぎた時の話
私の例をお話すると、先日お酒を飲みすぎてしまった日がありました。
その理由として最初は「状況」つまり「周りの人」「雰囲気」などが原因だもん。と思考停止をしておりました。
でもなんだかそれじゃいけない気がする、と考えたので、本当に触れたくなかったですが、少しずつ考えました。 3日くらいちまちまと考えたかな。
そうやって考えていると、「そもそも私が状況に身を委ねたのはなんでだったんだろう」ということを考えられ始めたんですね。流されたってことだから、本当はここはあんまり考えたくないです。
周りが悪いことにして、悪くないもんと言いたかった。
でももやもやするんです。自分にも治すところがあるって自分で思ってたんだと思います。
「それじゃいけない」と感じたのはどういうことだったんだろう?
「流されたから考えたくないっていうことは、ここが私のキモかな?」と問いかけてみると、そのとおり。
このまま片付けてしまうと、自分でコントロールできそうな部分を放棄してしまっている、それは嫌。という答えにたどり着きました。
そしてなぜ流されたのか考えると、「コミュニケーションを取るとか、相手を楽しませるって点で自信がなかった」というところまで考えが進み、そこで腑に落ちました。
答えは「腑に落ちた」という気持ちとともにやってくる
ここまで来ると「そっか!じゃあ状況に身を委ねなくても良くするには、自分が特に酒の力を借りなくても相手を楽しませられる自信がつけばいいんだな!」と考えることができます。
私は自分の人生は自分でコントロールしたい気持ちが強いことを知りました。
だから、ハンドルを手放さないでいい方法が見つかるとそこが正解になったわけです。
正解が見つかるとそれ以降はモヤモヤがなくなります。
次に何をしたら自分にとっての解決が待っているのかがわかったからです。
考えているときは、どれが正解なんだろうと思うときがあります。それが悩みというものです。
今までの私の感覚だと、正解には必ず腑に落ちるところがあります。「これだったんだ」という感覚です。
ループしているときの考え方のコツ
ここまで色々と書いてきました。腑に落ちるまで考えてみるとはいえ、同じところをぐるぐるしていてなかなか答えが出ないときはどうしても出てきます。
それをほどくのはパズルみたいなものだなと思ったりします。
つまり、解き方のバリエーションを知っておくことが一つの助けになります。
知っているだけでいいんです。知っているだけで、時々、その状態に気づくことができます。
今の所、私が袋小路に陥ったときは、悩みの「視点・位置・深さ」などを変更してみたり、「条件を仮定して再検索」したりしますね。
悩みの「視点・位置・深さ」などを変更する
悩んでるとき「今これすごい視野せまくなってるな?」と気づいたり、「あ。論点がずれてる」などと気づくことができます。
問題が自分だけのものになっていないでしょうか?
相手か自分、どちらかだけに責任をおしつけていませんか?
そもそも、相手と自分どちらかが必ず悪いのでしょうか?
その時起きたことだけに着目していませんか?
ときには、視点を未来にうつして、これからできることを考えることで案外見えてきたりするかもしれません。
条件を変更して再検索
たとえば相手になにか言われてムカッときて喧嘩してしまったとしましょう。
この問題に対して解決が見えないとき、私は問題自体の条件を別のものに変更してみるんです。
言われた言葉がどうだったらムカッとこなかったか考えてみる。
別の誰かに同じ言葉を言われてもムカッと来るか考えてみる。
変更した条件で答えがかわったら、変更した条件の部分が問題です。深堀りするポイントかもしれません。
自分の気持ちを明確にすると起こること
今日は自分の気持ちを言い表す練習についてお話をしました。こういう練習をしていくと起きることについて最後にまとめます。
極端な考え方の正体のひとつ
白黒思考とか、ゼロか百か思考、極端な考え方と言われますね。
私はこれ、考え方の癖もありますが、語彙の問題でもあると思っています。
自分の気持ちを上手く言い表せないために、ものさしの目盛りがすくないために、極端になってしまうんです。
自分の中の物差しが、二つなんです。
「ムカつく!」と「ムカつかない!」の二つだとすると、
真ん中寄りからちょっとでもムカつくよりのものは全部ムカついてしまいます。
思考やことばに引きずられやすい人は、これだけで怒りっぽくなると思います。
3つ目の目盛りをつけましょう。4つ目、5つ目、少しずつ目盛りが増えていくたびに、楽になって行くと思います。
知っているだけで変わること
人と会話するときにも、この目盛りは存在します。 たとえば、二人の人が、夢を語り合ったとします。
「やりたいこと」って感じで話しをするとします。
かたや「今すぐやりたい死んでもやりたい」くらいのことを話します。
もう片方は「ちょっと興味がある」くらいのことを話します。
死んでもやりたい人にとっては、「やりたい」とは、死んでもやりたいくらいのことを指しますが、ちょっと興味があってもやりたいに属する場合だってありますよね。 たぶん、お互いが目盛りの差に気づくことができなければ、話せば話すほどなんだか違和感を感じることでしょう。
でも、お互いにそれはやりたいことなのです。
目盛りの差に気づかなければ、「話合わねーな」となりますが、気づいていれば、「ちょっとやってみたいこと」と「死ぬほどやりたいこと」の違いかと気づくことができますね。
そして当然、ちょっとやってみたいことだろうが、死ぬほどやりたいことだろうが、やりたいことには変わりがないと気づけます。気づいている・知っているということは、それだけで自分の心を安定させます。
だんだんすばやく自分の気持を言い表せる
以前よりも、相手に自分の気持ちを説明しやすくなりました。
嫌な気持ちがしたら、嫌な気持ちがしたときに、嫌だったポイントを発見できます。
そしてそれが単なる自分の言いがかりなら、「これは言いがかりじゃん」と修正できますし、そうでないなら、「自分はこうだったら嫌な気持ちになるんだ」と伝える選択肢も出来ます。
相手に伝えることで「そんなつもりじゃなかったんだよ」とか、「じゃあどうしようかな」なんて、建設的な話し合いができる一歩になるかもしれませんね。
そしてそれは、嬉しいときにも当然おこります。
嬉しい気持ちがしたとき、自分はどうなったら嬉しいかも言い表すことができます。そして「嬉しいよ」と相手に伝えることもできるようになるのです。
だから私は自分の気持ちを言い表す練習を、ちょっと生きやすくしてくれる方法の一つとして、おすすめします。
それでは今日はこんなところで。