少し前の話、お兄ちゃん猫の耳のこと。
汚れやすい耳
上の猫を迎えてすこし、すぐに気づいた。
耳垢が目立つ。しかも片耳だけ。
調べてみると、原因は色々あって、濃厚なのは真菌か耳ダニ。よし、病院だ!すぐさま受診した。
しかし検査をしてもらっても、どちらにも引っかからない。先生の、ひとまずの見解は「こちらの耳だけ汚れが自然と落ちにくい」だった。
要は人間でも日常的に行われている、老廃物を外に出す機能、それがこの子はこちらの耳だけよわいのかもしれない。皮膚も少し弱いかもしれないので、そうだとしたら一生の付き合いになる。
「しばらく様子を見て、気になったらまた受診してください。」
なるほど、そう言うことはあるなと思った。日常的ケアが大切だということだから、耳掃除用品を買った。洗浄液がたっぷりしみたコットン。これで優しく撫でてあげるといいのだそうで。
耳のケアが一番嫌い
私たちはそのまま「様子を見た」。汚れが溜まるペースは一定で、定期的におやつを上げながらほんの数秒、耳介のよごれをふきとる。
彼はこのケアが他のなによりも苦手で、いつも耳をパタンと閉じて嫌がった。
時には目に見えて我慢をする顔になってもいた。ふうふうと息を荒くして耐えるときもあった。
「こんなに我慢してくれてすごいなあ」
そう思っていた。
抱っこが苦手な彼だけど、他のケアは比較的楽にさせてくれる。シャンプーも、爪切りも。だけど耳だけは嫌がる。
「本当に苦手なんだろうね」
そう思っていた。
ひどくなる耳
時が経つにつれ、耳の汚れが溜まるペースも早くなった。頭をものすごく振るし、大きな耳垢がごろっと出てくることもある。そしてびっくりするほど耳の中をかくようになった。だけど「この子は生まれつきかもしれないから」という思い込みもあり、なかなか受診に至らなかった。他のことではすぐ病院にかけこむのに、耳は「やっぱりもう一度見てもらおう」となるまでに時間がかかった。
点耳薬がめちゃ効いた
お医者ではやはり、検査しても何も出ない。ただ、かきすぎて炎症を起こし、いわゆる外耳炎になってしまっているので、その症状をとりましょうと言う意味で、点耳薬をいただいた。
これがよく効いた。
点耳そのものはいやがるけど、かゆそうにしなくなった。耳垢の量も減っていった。
二週間の点耳の間に、彼が耳のなかをかくのをみることはなくなった。
「薬ってすごい」
「薬終わったらまたひどくなるのかな」
そう思っていた。
指がしみる
点耳が終わる頃一度、少しだけ目立つ汚れをふきとってあげたくてコットンを手に取った。その時私は指が少しささくれていて、コットンの洗浄液が指にしみた。結構痛い。
あれ。
あれ。
指が結構痛い。なら、耳は。
外耳炎になっていく、傷がついた耳だったら…。
洗浄液のしみたコットンをやめ、よくある「ほぼ水」的なウェットティッシュを手に取った。
最初こそ反射で耳を閉じたが、
彼は一切嫌がらずに耳掃除を終えた。
うそでしょ。
汚れなくなる耳
点耳薬がおわって、今まで、最初に一回、刺激性の物質が入っていない「ほぼ水」的な洗浄液で耳掃除をしたのみで、あとは一回も耳掃除をしていない。
彼は耳をかかなくなったし、外から見るといつも少し気になってた黒い耳垢が、全然見えなくなった。どんどん綺麗な耳になっていった。
今思い出して書いていても涙が出そうに悔しい。
痛かったんだ、最初は何かのきっかけで耳が汚れたのかもしれないけど、最初の傷も何かのきっかけかもしれないけど、絶対に言えるのは、それを悪化させたのは私たちだ。
傷が沁みたら、気になってかいちゃうのはあたりまえのことで、それが悪循環を産んでたってことが、私だってわかる。
お医者様は可能性の話をしただけなのに、事実にして思い込んだのは私だ。
様子を見ているつもりで、ぜんぜん見ていなかった。
痛くしてごめん、では、済まないと思っている。
あんなに嫌がってたのに、私たちは耳掃除の間だけ「ごめんね」というだけで、やめることも、改善もしなかった。彼の耳はずっと痒かったし、痛かったはずだ。
それでも彼にとって世話をするのが私たちしかいない。その私たちに通じていないから。彼は我慢をするしかなかった。
自分の指に傷ができて、沁みて初めて気づくなんて、身勝手すぎる。
猫は特に、痛いって言わないから。兄猫は贔屓目たっぷりに言うけど我慢強い子だから、それを思うと涙が出る。
嫌だって言えない、沁みて痛いんだって言えない、伝わらない、それが一年も。
いつもいつも思ってたはず。言葉が通じないし、彼らが頼れるのは私たちだけ、どんなことがあっても、私たちがすることが彼らのすべて。
そう思ってたのに全然気づかなくて、想像力のなさに涙が出る。私がもし、日常的に化粧品などから刺激を受けていたりしたなら。もっと早く気づいたり、成分をちゃんと見たり、調べたり、したんじゃないか…。
もっと早く、もっと真剣に悩もうと思う。思い込みから逃れにくいことはわかっているから、「しかたないのかもね」だけはなくしていきたい。そうじゃないと、言葉を持たない彼らに、より一層の無理を押し付けることになる。せっかくうちにいてくれるのに。幸せを与えるどころか、基本的な不快感すら拭えないのは嫌だ。
言葉に頼らないコミュニケーションを彼らのおかげで沢山経験したつもりでいた。ただ、まだまだ道のりは長いみたい。