お誕生日おめでとう

うちのねこ、ゼンちゃん

うちで暮らすねこ、ゼンちゃんが1歳を迎えようとしている。
こういうときでもなければ長々と書くきっかけがないので、今日はたっぷりゼンちゃんの話を書くと決めた。

ねこと暮らすために家を買った

1年半前、ねこと暮らすことを前提に、持ち家派となった。
動物と暮らすことを許されるマンションはいざ探してみるとあまりなかったし、私はトレーニングルームとかほしかったし、パートナー氏は将来的に楽器がしたかったので、家を買った。

じゃあ夫婦そろって生来のねこ派かというとそうではない。もともとお互いに動物好きだけれども、実家が犬派で縁がなかった。大人になった私たちはどちらかというとインドア派なので、ねこさんと相性がいいかな?と感じたこともある。そして、ご縁があったメインクーンの子猫と暮らすことになった。

それがゼンちゃん。

ゼンちゃんとの出会い

正式な(?)名前は、カール・シュヴァルツ・ゼンハイザーなんだけど、ちぢめてゼンちゃん。

彼は生まれた時からちょっとのんびり屋で、お母さんのおっぱい争奪戦に参加したものの、一緒に生まれた他の4ねこに譲りまくって転がり落ち、その家の(人間の)お母さんに哺乳してもらっていた。いちばん体重も少なかった。
その後なぜか、同じ家にいるサイベリアンのママのお乳をもらい、うまれた兄弟とは別の部屋で、真っ白なサイベリアン兄弟にまじって遊んでいた

ここまでの情報は事前に知っていて、だからこそ私は彼に興味を持ったというのもある。そして実際にゼンちゃんに会いに行ったとき、さらに衝撃的なことに、サイベリアンのママに「おちちくだちゃい」と寄っていったゼンちゃん、それを「いやや」と拒否するサイベリアンのママ、という光景を見てしまって「お、お前!」という気持ちになってしまった。

今から思えば子猫の離乳の時期なので、歯も生えて来た頃にガブガブされた母親としてはふつうに「やめてクレメンス」といったところだと思う。だけれどもその時分の私は勝手に感情移入してしまった。

「この子と暮らしたいなあ」と思った。しかし人間の勝手で住む家をきめられたらたまらないともおもったので、ゼンちゃんに「うちで一緒に暮らしますか?」と聞いてみた。「なんやこの人間」といった感じで、引いていた。

家に来て、秒で慣れた

いろいろとあったのち、お迎えの当日。
私たちは事前にじっくりと調べて、その日からは静かに、ゼンちゃんのペースで慣れてもらい、近づいてくるのを待とう…という気持ちであった。一度見に行ったときは控えめで臆病そうに見えたし、遊ぶのも兄弟にゆずって後ろでじっと見ているような子だったので、時間がかかることは覚悟していた。

しかしゼンちゃんは勇敢にも、キャリーを開けたその瞬間からパッと飛び出た。部屋を一通り見て回ったら給水器の水を遠慮なくゴクゴク飲み、トイレを済ませ、ゴロンと横になった。

ねこさんと暮らすのが初めてであったので、それなりに勉強したつもりだったのだが、ちょっと拍子抜けもし、そして安心もした。

ただ、その後彼が本当はとても臆病ということがわかってからは、彼なりの真剣な生存戦略だったのかも、と思っている。

涙のふみふみ

うちに来て二日目には、朝からゴロゴロと大爆音で喉を鳴らし、ニャアニャアと喋って膝に飛び乗った。そのまま私の腹で、「ふみふみ」を始めた。

ふみふみというのは、ねこが布や人間の体を両のおててで交互に踏むしぐさのこと。ねこによっては、チュッチュと乳を吸うしぐさもついてくる。母親の乳をもらうときにそのように乳をふむので、甘えた気分のときにやるしぐさのよう。離乳が早いとこうするとも言われている。

ゼンちゃんは家に来た翌日に私の胴体で初ふみふみを決めた。余談だけれども、それからきょうまでほぼ10ヶ月の間、毎日どっちかによりそってふみふみを欠かさない、かなりのおっぱい星猫だった。

ゼンちゃんはなにかとおっぱいにめぐまれていない乳児期だったと勝手におもっていたので、事前知識として知ってはいたが、いざゼンちゃんがはじめてそれをしたとき、可愛いと思うよりも悲しくて、泣けて泣けて仕方なかった。知らない家にひとりで来て、臆病だから怖いけど、それでも知らない人にゴロゴロと喉を鳴らして甘えるしか無いほどの寂しさを持っているこの子に、なにができるかと考えた。命を預かることの重さも、より実感をともなったものとして自分の意識に刻み込まれたようにも思う。

シャッターが止まらない

子猫のころには子猫の、成猫には成猫のかわいさがそれぞれある。だとしても子猫のころのゼンちゃんは、異常な可愛さだった。贔屓目をすこしは抜いたって、多分かわいい。

今このブログを書くためにカメラロールを漁ると、それこそ家に来て数週間くらいの頃はある種悪魔的な可愛さの写真が山ほどあって、一旦見始めたら最後、寝るまで見てしまいそうなほど。

ただ問題なのはその勢いが今の所衰えることを知らず、毎日可愛さが増しており、近頃はゼンちゃんが何をしていても「あ゛ッ可愛ッ」と思う日々である。
ゼンちゃんと離れ離れでねる日は、おやすみをしたあと寝るまでカメラロールを見ていることもある。

ほら可愛い。

基本的にゼンちゃんはすくすくと可愛くなってくれた。
小さい頃こそ、頻繁に病院へ駆け込むことが多かったが、去勢手術を終えた頃からはグッと体調が落ち着いた。兄弟で一番ちいさかった彼だけど、6.5キロくらいまで成長している。去勢手術の後は肥満に注意してと言われているけど、とくに大食漢でもなさそうで、病院の先生からも「全然だいじょうぶですね」と言ってもらっているので、安心している。

ゼンちゃんのせいかく

暮らしてみて、いろいろとわかってくる性格がある。
ゼンちゃんは私たちがはじめて暮らしたねこなので、比較ができない。だからねこさんは一般的にこういうところがある、という部分も多々あるかもしれないが。

すごくビビり

初日からすごい勢いで慣れていったので怖いものなしかと思っていたら、その後は基本的にチキンでビビリ。彼はあまり熟睡しない。そもそもうとうとしている時間がほとんどらしいが、少しも「まったく起きないね」という場面に出くわさない。

高いところも苦手で、ほとんど登らない。のぼっても、降りるまでにめちゃくちゃ時間をかけている。キャットタワーも高いところも用意しているが、全然使われない。いつも人間のそばか、足元か、後ろで監視している。

すごく我慢づよい

ゼンちゃんはひととおりのケアを問題なく行わせてくれる。爪切り、シャンプー、ブラッシング、耳が汚れやすいので耳掃除も。特に耳掃除は大嫌いだけど、それでもやらせてくれるので、凄いと思う。

耳掃除の時、耳をぴたりと閉じて鼻息を荒くして、でも暴れるでもなくじっと耐えている姿を見ると、彼がこんなに我慢をしてくれるのはなんでなんだろう?と思ってしまう。

ハズバンダリートレーニングのことをもっと学んで、ケア自体の我慢が少なくなればなと思っている。本当に申し訳ないので、頑張らなくては。

すごく空気を読む

というか、人間の状態をよくわかっている。私とパートナーが不穏な空気になっているとき、軽ければ「喧嘩はやめんさい」と言って間に入る。でも超重苦しいときはやっぱり感じ取って、すごく後ろにいる。ちょっと改善しかけたころに「そろそろやめんさい」といって二人の間にはいり、可愛らしく鳴く。気を使った結果、その翌日お腹を下すことも多い。申し訳なさすぎる。

また、私がある時落ち込みすぎて体調を崩した時、ゼンちゃんも私のほうを頻繁に様子伺いして、最後には体調を若干崩してしまった。偶然かもしれないけれども猛省して、環境を変える決意をした。私が元気になっていくとゼンちゃんも元気を出してくれたので、本当に健康で居なくてはならないと思っている。

すごく抱っこがきらいで甘えん坊

ねこさんのなかには、ナデナデが大好きだったり、抱っこが大好きな子もいるそうだ。
だけど彼はそのへんのことは割と嫌いで、あからさまに逃げる。逃げないのは、おやつをもらうときだけ。さっぱりしていていいと思う。
ただ私たちのことは大好きのようで、4時間くらいから姿が見えない後はだいたい叱られるし、家の中でも呼びつけられることがよくある。久々の再会のときは、体当たりしたりスリスリしたり、ガブガブアマガミしたりしている。自分からは良いらしい。家族みんな揃って、同じ部屋で、違うことをしている状態がおそらく彼の理想っぽい。そういうときはとても落ち着いて、ウトウトしている。

私の変化

生き物と暮らすと、きっと自分にも変化が起こるだろうと思っていた。実際ものすごくいろいろと変わった。

言葉遣いの変化

確か若い頃に「コンパニオンアニマル」という言い方を知って、それ以来なかなか「ペット」とは言わなくなったのだが、それにまつわるいろいろな言い方も変化してしまった。

たとえば「飼う」を言わなくなった。「餌」「フン」も言わなくなった。「暮らす」「ごはん」「うんち」に統一されている。それを使おうとすると、自分の中で強力なブレーキがかかるのを感じる。おそらくそれらに対して明確なイメージがあるんだろう。

他人が使って会話をすること・話をされることについては特に嫌な気持ちは抱かないし、使ったほうが通りが良いときなどは使うこともある。ただこういった文章などを書くときには、全然使わなくなった言葉だ。

ママを自称できない

同じように、私は自分のことを「ゼンちゃんのママ」とは言えない。
よく、ねこと暮らす人には、「◎◎ちゃんママ」とか「パパ」とか、普通に浸透しているのをみる。そして、他のねこ関係の友達からは「ゼンちゃんママ」と言われる。それ自体嫌ではない。

でも、自称できない。
私は乳も出せなければ、狩りも教えてやれない。体をなめてやることはできるかもしれないが、多分やらないほうがいい。彼に伝わる言葉を持たない。ママと自分から言うには、してあげたいのにできないことが多くて、気が引けてしまうのだ。かろうじて、言えて、保護者かもしれない。

最近「でもそれだと彼は、一緒にいる家にママがいないのか」と思って、心の中では「ママ…ですよ…!」と呼びかけている。

言葉をもたないコミュニケーションを学んだ

当然のことながら私たちとゼンちゃんは、言葉でコミュニケーションができない。言葉に頼り、言外の感情などを汲み取るのがとても下手な私にとって、ゼンちゃんとの出会いから学ぶ事が多い。冗談を言っているのではなく、ねこさんとのコミュニケーションから、人間同士のコミュニケーションに応用できるものを学び取っている。

人間もまた、言葉だけではなく言外の様々なコミュニケーションを行っているのだと、この歳になって実感する。言葉があらわせることの、なんと狭いことか。

相手の求めることをしたい気持ち

当然人相手でもあるんだけれども。

わかりやすい例をあげると、私は「ゼンちゃんかわいいなあ」って思うと、撫でたり抱きしめたくなる気持ちが強くなる時がよくある。だけどゼンちゃんがそれを望まないのは明白。そうなった時に、撫でたい・抱きしめたい気持ちを出すより、彼がしてほしいこと(大抵の場合、おもちゃをふること)をよく考えるようになった。ただ、我慢しきれないで腹に顔をうずめてモフモフしたり、うっかり撫でて噛まれて蹴られたりしている

複雑な思考を持つようになった

これについてはとくに様々な意見が生まれやすい部分・かつ、重くならざるをえない話題なので、ゼンちゃんのお誕生日ブログというめでたい文章においてあまり主張をするつもりではないんだが、ゼンちゃんという猫と暮らしたことによって、動物愛護の視点からものごとを見ることも増えた。
同時に自分の中に渦巻く様々な矛盾や未解決の問題や、自らのエゴにも気づくこととなった。
なかなかエゴエゴしているとも思う。ただ、ゼンちゃんという一つの命と暮らさなくては考える切っ掛けにもならなかったのも事実で、まとまらない。
ひとまず今の自分にできることは、目の前の命に対して真摯であること、それから、できることはやる、くらいしかないなと、矛盾を一旦認めた上で考えたり行動するようになった。こんな複雑なこと、昔はできなかった。その日のうちに答えを出して、自分の思う正解以外を排除するような思考しか持っていなかった。

人間関係

ゼンちゃんを迎えてから、インスタグラムを始めた。猫アカウントというやつ。そしてそこで、同じメインクーンを家族に持つ人をはじめ、いろんな人と関わりを持てた。何よりうれしいのは、ゼンちゃんの同胎の兄弟家族とのご縁ができていること。本当にしぐさまでそっくり。

ゼンは生まれてすぐ、君たちとは別のグループで育ったけど、兄妹なんだね、って思う。
ゼンにつながるご縁があるのが嬉しい、自分よりも。

また、友人の息子くんがゼンをたいそう好いてくれているのも嬉しい。

ゼンのインスタグラムをニコニコとチェックしてくれ、会うのを楽しみにしてくれて、会えばやさしくなでてくれ、彼がどんなにビビリ由来の塩対応を行っても「かわいいねえ〜〜」と言ってくれる。こんなありがたいことはない。

生まれてきてくれて嬉しい

ゼンちゃんが生まれてきてくれて、本当に嬉しい。母猫にも、父猫にも、そして生まれた家の母親さんにも、本当に感謝している。

ゼンが私たちより長く生きることがないのは、悲しくもあり、当たり前のことでもある。正直、いつかくるその時のことは考えたくもない。ただ、その時が来ないといけない。一人で生きていくすべを教えられない以上、ずっと一人にしないで生きていくべきなので。一年という節目で、健やかに育ってくれている喜びとともに、なにか燃えるろうそくを見つめているような、そんな気持ちにもなる。彼の幸せのために、自分がまず健康で幸せでいなければと思わせてくれる存在に、私も出会えてよかった。

今、私のカメラロールには、彼が寝ているか、ご飯やおやつを食べている後頭部の写真が多くなってきた。可愛くて映える一枚よりも、そういう瞬間のほうが、愛しく思えるようになったのだ。

とはいえ、映えちゃうんだけどな。

余談:SNSのアイコンが動物の人問題

たまに「SNSアイコンが動物や絵の人、本人が見えず信用ならん」という意見を見ることがある。基本的にはとてもわかる部分があるし同意するんだけど、どこかの拾い物画像じゃなく、その人の家の猫だとしたら、むしろ猫の顔って本人以上に本人を表すこともあるのでは…!?!?などと最近思うこともある。

そもそもこんなかわいい猫と暮らしてたら、悪いひとになりたくてもなれないニャン!
猫の顔がこんなにかわいいってことは、きっと一緒にくらす人間も悪い人じゃないと思うニャン!

ハッピーバースデー、ゼンちゃん!これからも健康でいてほしい。
「ありがとう」と、「大好きだよ」を伝える鳴き方が分かる人がいたら、教えて下さい。

Profile

Xiuca

神奈川県で夫・ねこ・ねこと暮らす38歳。

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