我が家のアイドルがもうひとり増える話、とも言える。
先日、はじめて誕生日を迎えたばかりの我が家のアイドル、ゼンちゃん。
彼に妹ができる。性格には、人間の想像では妹だが、あるいはパートナー、もしくは敵かもしれない。
さみしそうな後ろ姿
ゼンちゃんはとても遊びが好きだ。しかも、ダラダラ遊ぶのが好きだ。彼がよくやるのは、人間におもちゃを振らせて、それを眺めること。興味がないのではない。振るのをやめるとしつこくかまってくる。また、自動で動くおもちゃは殆ど見向きもしない。ボールみたいな、自分でドリブルするタイプも、そんなに遊ばない。
人間が自分に注目した上で、目の前でなにか動くのが好きなんだろう。
だから人間は、下手すると彼の前でずっと一人遊びすることになる(笑)いったい何なんだろう。疲れたよゼンちゃん、と言って寝転がっても、スマホに顔を押し付けて、おでこに鼻を押し付けて、耳元で甲高く叱ってくる。
それで彼が満足しているならいいけれども、彼は体力を使い果たすことがないので、比較的四六時中「おもちゃをふって」と言われる。人間が忙しいと、とても付き合いきれないときが多い。(毎日なんだかんだ1〜2時間は一緒に遊ぶんだけれど)
ずっと遊んであげられたらこんなにいいことはない。けれどもそういうわけにもいかないので、ごめんねといいながらリビングをあとにしたり、おのおのが仕事をしたり、自分の世話をしたりする。要はゼンちゃんに構えない時間が、どうしてもたくさんある。
そういったとき、おそらく人間の錯覚なんだけど、とても寂しそうにしている。
たまにおもちゃ箱に首を突っ込んで、一人で遊べるぬいぐるみなんかをギュッと抱きしめたり、あるいは疲れてへばっている人間を背に、おもちゃの前で座って一人で待っている姿なんかも見てしまう。
そして、また人間がかまってくれるとみるやいなや、遊びのスタート地点(おもちゃ箱の横)へかけていく。それがゼンのはやとちりで、人間が冷蔵庫に行くだけだったりすると、彼のおちこみようったらない。期待にぴん!と跳ね上がっていたしっぽがみるみるしおしおさがってしまう。
そうすると人間としてはたまらなくなって、「お友達がいたほうがいいのかな」と思ってしまうのだ。そういうこともあって、今回妹をお迎えする。
ゼンちゃんを迎えたときは、私が主導でご縁センサーをはっていた。だから、つぎのときはパートナー氏主導でご縁センサーを使ってもらった。
ねこさん的には、まったく考慮に入らない要素らしいが、父猫・母猫が同じ。まったく考慮に入らないというのは驚いた。
私目線と、パートナー目線
しかし私目線では、ゼンは相当一人っ子気質だと思うので、もうひとり増えたとて嫉妬の対象になるばかりではという懸念も同じくらいあった。そういう時に、やっぱだめでしたといえる問題ではない。お友達いたほうがいいかな問題は、割と早く勃発し、一人っ子のほうがいいのでは問題とともに、長い間検討されていた。
パートナー目線では、ゼンちゃんは優しい子なので、きっと仲良くなるのも早いだろうと見ているし、仲間と暮らすことがいいことのほうがおおいと見ている。また、生まれた家のおかあさんも、優しいから大丈夫、ふたりでいると双方にとっていいことがおおい…とも言っていた。(※もちろんその子の性質によると思う!)
私としては、そんなんわからないじゃないか。ゼンちゃんは言わないだけかもしれないじゃないか!と、過保護な思考を発揮していて、実は正直劇的な思考転換のきっかけもなく、お迎えの日が迫っている。ここは言い表すのが複雑な感情だが、感情的にはとてもグラデーション。ただ、いろいろな可能性を考えているだけ。
どうなっても責任をとる覚悟とは
本来であれば100%歓迎の気持ちで、やあ、いらっしゃい。としたいところだけど、私の場合は二極化思考が激しい部分も自覚しているからこそ、命に対して逆にテンションで決定するのはどうだろうと思っているので、この状態にいる。
パッと思いつく「良いルート」は、もちろん、みんながニコニコ笑顔のルート。ゼンも、妹もお互いを受け入れ、人間とも良い距離感で暮らせていて、たまに2ニャンが揃って昼寝をしているルートを見たり、じゃれあいに心をもんだりといった毎日。
こちらもすぐに思いつく「あまりとりたくないルート」は、決定的に相性があわない場合。そういった場合は家の中で完全に、ゼンと妹それぞれの「ひとりだけの空間」「自分だけの時間」を確保する必要がある。
ほかにも考えつくルートは色々あるが、こればっかりはやってみないとわからないのもまた事実。逆に言うと、この取りたくないルートをとらざるを得なくなったとしても、責任をもって15年・20年やっていく覚悟は、がんばればできそう。だから、迎えることにした。
お出かけするときに持ち物をあれこれチェックしたあげく、最後には「最悪鍵と財布とスマホもってればいいか」となるのとちょっと似ている
どちらかが正解で、どちらかが完璧に良い選択、というのはない。なので、今回もまた、「考え尽くしながら生きていく」覚悟だけは持っておこうと決めた。
とちゅうから兄妹になるということ
ゼンを迎えるときも、妹を迎えるときも、自分の生まれ育ちを基準にして考えているふしがある。
私はステップファミリーで育って、「うまれの親との縁の薄さ」「きゅうに知らない人の家にいくこと」「まったく知らんやつと兄妹として育てといわれる」こういった経験に対して自分なりのイメージがある。
本来彼らにとって関係がないので、これらを基準に物申す・決定することは基本的にしないんだが、かといって自分の中に生まれてこないわけでもないので、妹猫をむかえるときめたときから、こういった感情と向き合い、消化したり、付き合ったりしている。
うん。今、書きながら思ったけれど、きっと自分の親たちも、悩んだだろうな。なんせ二人と二人の別々の兄妹ががっちゃんこして四人兄妹になるんだから。それにしちゃあ、我々兄妹はいい子に育ってきたほうだろう。めんどくせーなと思うことはあるけど、まったくいなければよかったと思うことはない。その中に家族全員の努力があったことは言うまでもない。
そして、悩んでもくれただろうけれど、想定した以上のことや、覚悟の範疇を超えたことを、きっと私たち子供はやってきたことだろう。良くも悪くも。
同じように、彼らの実際はきっとまったく別物だ。彼らがどういう関係を築くのか、心配しながらも、楽しみにしよう。
なんか、これに気づいただけでもいい感じがする。
無理してきょうだいにならなくてもいいよ
ふたりに対しては、そう思っている。多分これは自分が言ってほしかった言葉だとおもうけど。無理して仲良くしないでもいいし、仲良くしたかったら、もちろんしたらいい。
ゼンからしたら、きゅうに知らんやつがきて、おもちゃも、縄張りも、ちゅーるも独り占めじゃなくなるんだ。普通につらいよな。
そして妹からしたら、いつも当たり前に自分以外のこどもがいて、最初から一人っきりでたっぷりと独占できるものがないわけだ。しかも先住猫ファーストとかいって、かならずあいつばっかり先に遊んでもらったりするわけで。普通にむかつくわな。
だけどもし仲良くなれたらそれはそれですばらしいことだから、二人で内緒の話をしたりしたら良いと思う。人間って仕事しなくちゃ生きていけなくてつらそうだなーとか。
最初は、人間の手があくかもしれないなんてスケベ心があったけれども、今は、多分倍以上大変になるぞと思っている。こっそりと二人に「きみだけ特別だよ」の時間を作ったり、きっとしたほうが良い気もするので。
お迎えまでは、すこしゆっくり
ゼンを迎えるときは、今から思えばちょっと月齢が早めだった。もちろん法令にのっとってはいるけれども、法令にのっとってるから問題がないわけじゃないと身を持って知った。
もっとたくさん、生まれた家での記憶を持っていたほうがきっと良かった。
生後2ヶ月から3ヶ月の独特な可愛さを味わうことができたけど、人間にしかメリットが無かったようにも思ってしまう。
あのときの、ちいさなちいさな、儚い可愛さを見せてもらったのは、もうゼンだけでじゅうぶん。
お迎えの時間まで、前より長くしてくださいと生まれた家にお願いして、快く預かっていただいている。変な話、法令的な期間だと短いと思っていると、その家のお母さんも言ってくださった。
ふたりが楽しく暮らせるように
こんな具合にかんがえたところで、なにをどうしたって、私たちの勝手が前提としてつよくある。人間の勝手で、うちの子にするのだ。
その上申し訳ないことに、万全ですらない。うちの構造だって、きみたちを安全に守るに足りないし、運用でカバーしてもらうことが増える。だけどがんばるので、どうかうちでの生活を楽しんでいってほしいし、わがままはたくさん言ってほしい。
妹猫の名前は、ユーリ。音響機器メーカーのBEHRINGER創業者、ユーリ・ベリンガーから頂いた。めっちゃ男性名だけど、まあいいでしょう。兄ともども、ドイツの音響機器メーカーから名前を頂いている。
ユーリさん、うちには、優しくて臆病な兄さんがいます。仲良くしてくれるとうれしいけれど、仲良くするかどうかは、ユーリさんとゼンちゃんで相談してきめてください。
何回か会いにいったところ、ユーリさんも、やんちゃながらも慎重な一面があるように見えています。私は、臆病だったり慎重なことは、生き物として強い性質だと思っているので、ふたりともそのままで良いと思っています。あと、むずかしいことやお金のかかることは、人間がなんとかします。楽しく暮らせたら良いなと、思っています。